鎌倉高校の何気無い日常 6
「で、どうなのでしょう」
「困りますね」
テレビクルーは、この校長の1言に緊張した。
「正直な話、本校は結構人気あるのですよ。
江ノ電、ロケ地にもなる程のロケーション、海の、それも湘南きっての海岸が見える通学路、
大学の進学率だって神奈川では上位、それに部活動だって活況ですし。
ですから、やはり出願直前にテレビで紹介されては」
「他の高校からクレームが?」
「高校というか、校長というか……。ま、狭い世界ですから」
アナウンサーは、予想とは違った校長の解答に失望を隠しきれないのだった。
その時、応接室のドアがノックされ
「校長」
そう廊下から声がした。
先程校長が呼んで来るように事務員に指示した教頭の声だった。
「はい」
校長が立ち上がり、
「ちょっと失礼」
そう言って部屋を出ようとした校長にディレクターが声をかけた。
「あの、どなたでしょう。差し支えなければ」
「教頭、だと思いますよ」
そう言って校長は部屋を出た。
事務室前の片隅まで歩いていった教頭は、嬉しそうな笑顔で振り向いて校長を見た。
その、教頭の笑顔で、校長は最悪の事態は過ぎ去りつつあることを了解した。
「で、どんな様子なのだね」
「もう既に調理の8割方は終わりました」
「え? まだ3時間目すら終わってないが?」
「それが今日の実習は実にスムーズで」
「???」
「あと1品、茹で上がるのを待って、後は盛り付ければ終わりでして。
このままでしたら、休み時間の間に調理は終了するんじゃないでしょうか」
「本当かね!」
了解した以上の状況に、嬉しさの余り校長の声が大きくなる。
1階事務室前とは言え、授業中の廊下での立ち話であることを思い出して、校長は慌てて辺りを見渡した。
「例の、有川君の弟」
教頭が続ける。
「ああ、確か……、1年3組の有川譲君だったか」
「ええ、彼は大したものです。実に手際が良い」
「手際?」
「今時の高校生にしては家事をし慣れてます。他の班への指示も的確で」
「1年の指示で、2年が作業を?」
「ええ、まあ……その、何と言いますか……」
「ま、良しとしましょう。誰がとろうがリーダーシップは大事ですしね。それに、この際、贅沢は言っていられません。
で、その……あの、…か……彼女は?」
「春日さんなら」
「きょ、教頭!」
思わず辺りを憚る校長だったが、教頭は笑顔で、それでも一応声をひそめて
「彼女は、その有川譲君の指示で、ずっと洗い物を担当しておりまして」
「ずっと?」
「ええ、お兄さんの有川将臣君と2人で、3時間目の始めからずっと。
実習室中の鍋やまな板や食器や、使い終わった調理器具まで。
たぶん、これが有川兄弟と春日さんのごく普通の日常なのでしょうな」
「あと一品……ですか。ああ、そうだ」
校長は何かを思いついたように教頭に耳打ちをした。
教頭は
「え? 家庭科の授業ですが……、いいのですか?
……分かりました。家庭科の先生2人分と2クラスの担任、それと副担任の分も
そっちに回して貰うように伝えましょう。
これで6人分ですが、それでよろしいですよね」
「はい、充分でしょう。
先生方には後で、私の方から学食の食券をお渡ししておきます。
急なことで申し訳ありませんが、よろしくお願いします」
「はい。では準備が整いましたら連絡いたします。
もう少々お待ち頂くことになりますが」
「ま、場繋ぎは私が何とかしましょう」
「頑張ってくだいさい。では」
そう言って、教頭は急いで調理実習室へと戻っていった。
〜と言うわけで先生方用の食事分は、そちらに回すことになりました。
御承知いただけますか?」
教頭は急ぎ調理実習室に行き、校長の計画を家庭科の新井・鈴木の両家庭科教諭に伝え、承諾を得たのだった。
2年6組の副担任・大熊体育科教諭は前回同様、調理実習に立ち会っていたので、一緒に伝えた。
その後すぐに教頭は職員室に戻り、1年3組、2年6組それぞれの担任・副担任に事情を説明した。
1年3組の担任は授業中だったので、休み時間に職員室に戻ったら伝えるように副担任に頼んでおいた。
その副担任は、2年6組絡みの調理実習の料理を口にしなくて済む安堵感からか、満面の笑みで、
「ええ。それはもう願ったり叶っ……、い、いやぁ、ハハハ、ざ、残念ですねぇ。
あ、そうだ! 教頭先生、じゃあ、僕の明日の有給休暇は取り消してくれませんか。
いやぁ〜教育委員会やテレビ局の人達に感謝ですよ。ねえ、星先生」
「それより教頭先生、大丈夫なのでしょうか」
「まあ、あの様子でしたら今回は、お腹をこわすような事は無いかと」
「いえ、僕がお聞きしたのは、調理品を食べた後の来校者の方々の事では無く、
調理品を作っている生徒達の方でして」
「ええ、今のところは何事もなく順調で」
「それは良かった…」
一抹の不安は残るものの、ホッとした気分が拡がるのを感じる、星先生であった。
コンコン
校長室のドアをノックして、校長が部屋に戻ってきた。
その後にテレビ取材班が続くと思い、緊張して居ずまいを正す教育委員会だった。
「失礼します」
入ってきたのが校長1人だったので、拍子抜けの一同だ。
「あ、あの……」
「え? あ、ああ。テレビ神奈川の方々は、撮影の準備中でして」
「なんだ」
「そうですか」
「そこで、先にこれから皆さんを校内に御案内致しますので」
「え? いや、それは……」
「は? ですが、皆さんは本校の実情を視察に来られたのでは?」
「だから、そんな事をやっていたら時間が」
「そんな事? 時間? 何の時間でしょう」
「それは当然、調理z」
「君」
「あ! これは失礼」
「調理実習ですか? ハハハ、どこでお知りになられたのです?
そうですね……、時間もそろそろお昼近くですから。
丁度いい。テレビ神奈川の方も交えて、調理室と生徒達の実習を見学して頂いて、
その後で、その出来上がった料理の御試食などをしていただきましょうか」
「こ、校長!」
「いいのかね、そんな……」
「はい? 何をそんなに驚いていらっしゃるのでしょう? 何か不都合なことでも?」
「だっt……、い、いや」
「校長がそう仰るなら…」
「では、参りましょうか。テレビ局の方々は後でお連れしますので」
家庭科教員のOKを貰い、ディレクターのキューで調理実習室に入って来たテレビクルーは
その和気あいあいとした室内の雰囲気に、当初の予定との食い違いの大きさに呆然としていた。
当初の予定……
過激な悪戯によって調理実習の授業が毎回妨害され、その行為もエスカレートしているという噂。
先学期に至っては、ついに爆発騒ぎまで引き起こしたという。
そんな噂、テレビ局としてはにわかには信じられないものだったが、もしそれが事実であり、
アポ無し突撃取材という、マスコミとしては反則技ギリギリではあっても、
危険な行為をスクープできれば、荒れた「高校」に対するマスコミとしての警鐘を鳴らせる。
生徒の危険行為を分かっていて何の対策も立てず野放しにしている愚鈍な学校サイドの管理責任も追及できる。
そこまでのスクープが取れなかったとしても、
噂のクラスの調理実習の現場を押さえられれば、
愉快犯的な行為を繰り返している生徒は、何らかのリアクションを起こすはずだ。
それに加えて、割れた窓ガラスやら廊下の落書きやらの映像の1つ2つも押さえられれば、
アナウンサーの追求に知らぬ存ぜぬを押し通す管理サイドの答弁を被せて編集し、
後はこっちサイドの意向を汲んで、それらしく現状を愁いながら解説する教育評論家でも用意して
教育問題の一丁あがりである。
そんなステロタイプな何番煎じだか分からない、
しかし昼か夕方のニュースに流せば、確実にある程度の視聴率を見込める企画のために
「それらしい映像を撮影えて来い!」
そう報道センター長から檄を飛ばされて来たのだった。
来校してみれば、県の教育委員会も視察に訪れているという。
今日がXデイなのは調べがついている。
そんな日に、教育委員会の視察。
取材班が勢い込むのも無理無かった。
しかし、である。
こりゃあ、なんだ?
そう取材班が拍子抜けするほどの、和気あいあいとした調理実習が進行している。
ここに来るまでの間に、校長から簡単なレクチャーは受けた。
1年と2年の合同授業であること。
複数教員指導制であること。
教育委員会の方がたまたま視察にみえていて、現在調理実習の視察中であること。
どれをとっても、ヤバイ生徒のいるヤバイ授業であることを裏付けているようで
取材班は「すわ、スクープか」と意気込んで、巧妙に隠蔽された危険な匂いをあぶり出そうと考えていた。
それが、である。
調理実習室に入る瞬間は、生徒や教師や、あろうことか教育委員会の人間と思しき人にまで拍手で迎え入れられ
「うわぁ! ホントにテレビの取材なんだ」
「エプロン、洗濯しておけばよかった」
などと生徒はおおはしゃぎだったし
いつもは化粧っ気などほとんど無い両家庭科教諭も、いつの間にしたのか、口紅にアイシャドーまで入れている。
極めつけは教育委員会で、
年配のスーツ姿の男性だから一目でそれと分かったのだが、
そんな彼らが、どうしてそうなったのか経緯は不明だが、花柄やヒヨコ柄のエプロンをして、
各班に1人ずつ別れ、
「おじさん、上手ぅ!」
「伊達に歳は取ってないのだよ」
などと談笑しつつ、いそいそと生徒と一緒に皿に盛り付けなどしていらっしゃるのだった。
ディレクターは目眩に耐えながら、
「カメラは無いものとして無視して、普段通りの作業をしてください」
と頼んだものだった。
「じゃあ、先輩、台布巾を各班に分配してください。
あ、兄さん! 漂白した布巾はしっかり絞ってくれよな」
「OK、OK、承知いたしました。譲様」
「じゃあ各班で食事場所をキレイに拭いてから、配膳に取りかかってください」
「すっごぉい! 休み時間になる前に調理が終了しちゃった」
「有川、お前の弟、大したもんだな」
「段取りがいい。鈴Tより手際もいいんじゃん」
「お前、聞こえたら実習点、減点されっぞ」
「あ、委員会のオジサン、どうぞ。ここに座ってください」
「いやぁ、美味しそうだね。こんな美味しそうなものを、調理実習で食べられるなんてね」
「今日視察に来たのは、これが狙いだったりして」
「あはは、実はそうだったんだよ」
「マジすか?」
「各班、盛りつけは済みましたか? では、いただきます!」
新井教諭の号令で調理実習品の試食会となった。
「いただきま〜す!」
カメラマンと照明、音声の各担当は、生徒と一緒に食事をするアナウンサー女子を撮り続けている。
そのアナウンサーはと言えば、和やかな空気に汚染されたかのように
嬉しそうに調理品を1口食べては「美味しい」を連発し、グルメ番組のような感想を1品ずつ述べ、
周りの生徒や、あろう事か隣に座っている教育委員会の男性の昔話に相槌をうっている。
「そうですね、我々が中学・高校の頃は男子は技術科で、家庭科が無くて、今にして思うと残念ですね。
でももし家庭科があったとして、果たしてここの高校の皆さんのように上手に調理出来たかと言えば
たぶん無理だったでしょうな。
なにせ大学になって下宿して初めて米をといだくらいでしたから。ハハハ」
「そういえば、この御飯は美味しいですね。
標準米も炊き方次第で、こんなに美味しくいただけるんですね。ホント美味しい」
こうして鎌倉高校最大の危機は去った。
有川譲という英雄が、新たに誕生して。
10/05/17 UP